ごあいさつ

藤井佳朗

明治時代に、歯科医科一元論と二元論が激しくぶつかったものの、二元論に軍配が上がり、以後現在に至るまで、その状況が続いている。

その背景には、明治政府が推進した富国強兵策がある。兵隊を殺さないために、戦傷をいかに回復させるか、ということで、外科手術、感染防止、脚気や結核の予防などに重点が置かれ、歯科医療は置いて行かれることとなった。

そもそも西洋医学そのものが戦争とともに発展してきたのだから、脱亜入欧の方針を貫こうとする明治政府が、そうした方針を取ったのは当然と言える。

そこからボタンのかけ違いが生じたのである。

誰が考えても、顎顔面領域だけが置いて行かれる医療は変であって、それがため、医科歯科の谷間に陥った患者さんを救うことが困難になるのは自明の理である。

このころのボタンのかけ違いは、医療だけにとどまらない。電力周波数において、関西は60ヘルツで関東は50ヘルツで、お互い融通しにくい状態である。

原発事故が起こり、電力不足が問題になって、電力の融通が課題になっても大なたを振るおうという勢力は政治の中に出てこない。

統一してしまえばいいということは誰の目からも明らかであってもである。

列車の線路の幅も、JRの採用する1067ミリと世界的標準の1435ミリが国内で共存するのはいかにも不具合で、だれが見ても世界標準に統一すべきである。

これら明治時代に発生したボタンのかけ違いにより、これまでどれだけ多くの損害を、日本国民は背負ってきたのか、考えるべきである。

それよりなにより、こうしたボタンの掛け違いを直してやろうという政治家が現れないのも情けない。

東北上越新幹線と東海道山陽新幹線の線路がつながらない。その気になれば一日でつなげることができてもできない。大阪から仙台に行くのに東京駅で乗り換えなければならない。東京駅は必要のない混雑に見舞われる。

これも縦割り行政、官僚統制の結果らしい。

元に戻るが、医科歯科二元論の弊害のつじつま合わせに、医科歯科連携などもっともなことを言う輩がいるが、ではどのように実行するのか具体策が見えてこない。

この1,2年注目され始めた歯周病と糖尿病の関連を推し進めようという勢力もあるようだが、重度糖尿病が存在する患者が保持する中等度の歯周病の歯牙を、医科側から抜歯してくれとの要求に、歯科側は応需するのか。

歯周病の究極の治療は抜歯であるが、それによる咬合崩壊による全身疾患の誘発を警戒すべきではないのか。歯科医科連携というのであれば、やはりコステンの不全脱臼(現コステン症候群)と呼ばれた時代から70年もの歴史と実績のある咬合治療を歯科側は前面に押しだして、医科側と対峙すべきではないのか。

歯科治療とくに咬合と全身とは深いかかわりがあり、例えば長年にわたる腰痛が、咬合調整で即時に改善することも稀ではない。腰痛患者2800万人そのうち85%は原因不明というデータが公表されたが、公表したいわゆる専門家は歯科に関しては素人である。

歯科で改善する確率はどの程度かということを、発表しないから、歯科領域が原因の腰痛に悩む患者は歯科という選択肢に気づかず、路頭に迷い、医療費を浪費する羽目になる。

医療費の高騰は消費税の引き上げにつながり、不況の原因にもなる。さらに、細分化しすぎた西洋医学を盲信することにより、症状の出た部位の症状を緩和しようという対症療法が、かえって症状の悪化を招く事態は、一刻も早く改善すべきである。

対症療法で症状が緩和している間に真因は何か追究する医療が望まれる。

高さの違う靴を履けば足の長さが変わり、骨盤が傾斜し、腰痛や背中の痛みにつながることは容易に想像できる。

では、整形外科にこれらの症状で行ってはたして靴の高さを調べてくれるだろうか?

まず痛みのある部位のレントゲンを撮ってからスタートし、鎮痛薬、マッサージ、やがては手術となっていくのが関の山で、結局根本原因の靴にはたどり着かない。その状態で手術なんて考えると末先恐ろしいことが起こるのではと思ってしまう。

「靴屋に行って靴を修理してもらってきなさい」が正解である。

歯科も同様で、全身疾患の原因になっているのであれば、歯科医師が真因を追究し、治療すべきなのは自明の理である。

歯の高さが左右で違えば頭の位置がずれて、首が曲がって、背骨が曲がって…、靴と同じ理屈になってくる。

明治以来のボタンのかけ違いをまず医療の世界から正す。これの実現を願ってやまない。

歯科医師 藤井佳朗